2006-06-19

素人が断定的に考えるサディストとマゾヒズム



困難な状況から這い上がると快感が得られる。あらかじめ脱出可能な、或いは仮に脱出できなくてもいいような困難な状況を自ら作り出し、そこから這い上がる自分を演出する。
これはマゾなんでしょうか?サドなのでしょうか?一見、サド性とマゾ性の同居した状態に見えますよね。でもちょっと待って下さい。

  • 困難な状況に陥る自分=マゾ性。

  • 困難な状況を打破する=サド性。


  • だとしたら快感は確実にサド性のほうに存在する。より困難なほうが、そこから脱出(克服)すればより快感が大きい。だから、より困難な状況を求めてしまう自分はマゾであるとおもうようになる。

    「あなたは自分で自分のことをマゾだとおもいますか?サドだとおもいますか?」
    の問いの多くは実は、サドと答えるべきなんです。

    2006-06-01

    レコードの傷から聴こえる自然界の中で人間が最も欠いている部分

    生(なま)の威力って凄いですよね。
    同時にパフォーマー側からすると実力がモロにでて、とても恐ろしいんだろうとおもいます。

    言わば、生(なま)でみる花火に比べたら、テレビでみる花火てうんこやし。
    マライヤ・キャリーや宇多田ヒカルに耳もとで唄われたとしたら、きっと「どうにでもしてくれ~」ってなる(笑)。

    生(なま)の威力が凄いその理由として、
    オーディエンスとの間に織り成す間(ま)、コール&レスポンス とか色々あげれるけど

    それらはすべて空気の振れ(気の流れ)にあるとおもう。

    当然、優れたパフォーマーとは「気」を感じる力が高い人、或いは、「気」をうまく利用できる人を指します。
    もしかしたら現代人の多くは、この「気」を軽く考えるようになってしまったんじゃないでしょうか?
    この「気」を「自然界の法則」って言い換えてもいいかもしれない。

    自然界の中で人間が最も欠いている部分だと感じます。


    そうした「気」を感じたお気に入りのレコードです。

    Sam Cooke/Live at the Harlem Square Club, 1963
    この凄い一体感は、たぶん聴く側にも「気」を感じる力の高い人が多かったはず。1963年ハーレム・スクエア・クラブでこのライブを体感できた人は、マジで幸せ。Feel It!!

    Bob Marley/Live!
    「No Woman No Cry」に尽きる。泣ける。

    こういう音楽を聴く時は細かい空気の振動が伝わるので、できるだけレコードで聴きます。
    『レコードは傷に針を当てて歌うんだよ』



    そして最後に
    Sounds of the Universe ? Various Artists ? FAITH
    キューバやハイチ、チベット、イスラエルやネパールの宗教的お祭りを現場録音したレコードです。この当時のこの場所にいた人達は「自然界の法則」をすごく理解してたんじゃないかな。「気」の大切さ、自然との付き合い方を。



           いつから僕らは、それを失ってしまったんだろう。

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